May 18th, 2000
By GREG COSTIKYAN
The New York Times
あなたが「ソフトの違法コピー」と聞いて思い浮かべるものは何だろう。遠い外国の場末の作業場で大量にコピーされている風景、はたまたハッカー同士のファイル交換だろうか。しかし、インタラクティブデジタルソフトウェア協会(IDSA)は、別なタイプの著作権侵害を活動中止に追い込もうと躍起だ。その別な著作権侵害というのは、絶版になったゲームをやりたがる人たちのことである。
作り手側は、オールドゲームが利用できるようにはしたくない。マーケットは、さらに高速なプロセッサや高機能なグラフィックが必要となるようなゲームで市場を押し上げることを期待している。彼らはAtari800やApple II用のゲームなどをCompUSAで売られることは望んではいないのだ。
しかしインターネットを見渡してみると、100以上のサイトでこういった絶版ゲームをダウンロードすることができる。そしてこれらを動作させるエミュレータも配られている。このようなゲームの中には、Atari2600用の「Missile Command」や「Space Invaders」のオリジナル版のみならず、コンピュータゲームの代名詞ともいえる「M.U.L.E」や「Balance of Power」なども含まれている。サイトではこのようなテクニカルサポートの受けられなくなったゲームを「見捨てられたゲーム(abandonware)」と呼んでいる。
言うまでもなく、作り手側はこれらのゲームを見捨てたとは思っていない。「ゲームの著作権とトレードマークは会社の財産である」と任天堂のウェブサイトには書かれている。「もしこのようなオールドタイトルが広く出回ってしまえば、知的所有権の侵害と、正規の所有者が不公平になってしまう。実際にエミュレータとROMの違法コピーは、現行の任天堂のシステムやソフトと競合状態にある」(ROMの違法コピーとは、古い読みこみ専用メモリーチップからゲームコードをコピーして、コンピュータ上に保存できるようファイル化したものである)。そのため、任天堂や他のゲーム会社は、「見捨てられたゲーム」サイトをシャットダウンしたがっており、前述のソフトウェア協会にそれを委ねたわけである。
これらのポジションは大いに議論の余地があるものだ。ゲーム愛好者がいなくなることはないし、Nintendo64の新作ゲームを買うかわりに、NES用のゲームをダウンロードするかもしれない。オールドゲームを捜し求めている人たちは、今のゲームとは一味違うものを求めている。ときに、オールドゲームを生き残らせている「見捨てられゲーム」サイトが、作り手側に究極の利益をもたらすこともある。「Frogger」のリメイク版(オリジナルは1981年発売)は1999年度のゲームベストセラートップ10に入った。 このことにより、「Frogger」のようなオールドタイトルをプレイしたい人が多いことが証明され、作り手側もリメイクに対して明らかに興味を持つようになった。「見捨てられゲーム」が、このような新しいニッチマーケットの確認につながった形だ。
さらに、作り手側はゲーマーに対してオールドゲームを合法的に手に入れる手段を提供していない。努力を正当化するにはマーケットが小さすぎるのだ。このため、ゲーマーたちは、法的なリスクを犯してまで、ビンテージゲームが動くようにすることに対して、妥当なことだと感じている。
オールドゲーム愛好者の、思い出のゲームにかける熱狂ぶりというのは語り草の一部に過ぎない。 5月にカリフォルニア州サンノゼで開かれたゲーム開発者会議で、MITの比較メディア学科のディレクターHenry Jenkins氏はスピーチで、コンピュータゲームを称して「21世紀の生きた芸術」であると述べている。「ジャズや映画も最初のころは散々に言われたものだが、現在では立派なアートとして認められている。これと同じことがゲームについてもいつか起こるだろう」と語った。
もしJenkins博士が正しく、さらにもしゲームが研究に値する芸術のひとつであるとすれば、評論家や研究家、そしてゲームをする人たちは、そのゲームという芸術の、歴史や発展を評価できるようにする必要があるのは言うまでもない。そして実際にそのゲームに触れるということ以外に、この芸術の鑑賞方法はないのだ。
ゲームメーカーは
ビンテージゲーム博物館を著作権
侵害で訴えることができるか
ビンテージゲームに触れることは、ゲームデザイナーにとっても重要なことである。 ちょうど、小説家が別な小説から、芸術家が他の芸術作品から学ぶように、ゲームデザイナーも過去のゲームから多くのテクニックを学ぶことができる。
ゲームデザイナーのレパートリーは彼らの作ったゲームにダイレクトに反映される。しかし、あまりにも多くのゲームデザイナーが、5年以上前のゲームについては無知に等しい。一発狙いや、パクリゲームが蔓延する最近のゲーム市場において、このことはとりわけ重大な問題である。国際的な政治の駆け引きをまじめにシミュレートしたChris Crawford氏作の「Balance of Power」、暴力シーンなど皆無なDani Bunten氏作の経済ゲーム「M.U.L.E.」、さらに最強のベストセラー、Will Wright氏作の「SimCity」などのゲームを作ろうとしても、金を出す会社は現在となっては皆無である。その理由は「マーケットに受けない」という単純なものだ。
「オールドコンピュータゲームを保存することは、単に感傷的とか、レトロブームだからとか、コレクション的なものではない。」とは、Rougeエンターテイメントの開発者、Richard Carlson氏がメールで寄せてくれた一文だ。「それは、アートの歴史であり、物語を作り出すものであり、そして音楽、アニメーション、プログラミング、さらに、クラシックゲームのエンターテイメントにこめられた先人の知恵である。」
中性紙で出来た本は何世紀も保存することができる。映画フィルムも何十年も残りつづけるだろうが、初期の映画の中には永遠に失われてしまったものも多い。ゲームの保存については、さらに分が悪い。ハードとOSがめまぐるしく変化するなかで、あなたがApple II用のゲームを持っていたとしても、それをどうやって動かそうというのか。
お気づきの通り、ソフトウェアというものはつかの間の命しかもちあわせていない。従って、それを保存するということは絶対不可欠といえよう。違法な「見捨てられゲーム」サイトは、ゲームデザイナーや研究者、ゲームマニアにとって、重要なサービスを行っているように見える。しかしこれらは、違法であるが故に、この問題の絶対的な解決策とはなってはいない。
他の方法もあるだろう。エレクトロニック・コンサバンシーというグループが、1999年にメリーランド州立科学博物館で、「ビデオトピア」という展示会を催したのだ。
「ビデオトピア」では75種類の新旧アーケードゲームマシンをその歴史的背景と共に展示した。エレクトロニック・コンサバンシーは、マシンの保存やメンテナンスを専門に行っており、アーケードゲーム業界でもかなり有名な開発者も何人か参加している。
しかし現在、アーケードゲームの規模は、家庭用やPC用ゲームを含めたゲーム業界全体のうち8分の1しかなく、ここ10年余り停滞の一途をたどっている。
家庭用ゲーム機やゲームについては同じような動きは見られない。それらで展覧会を開いたり、現物でコレクションすることにはあまり意味がないのかもしれない。これらのゲームを最も多く広める方法が、今のところ「見捨てられゲーム」サイトがやっている、ウェブを通じてオリジナルコードを最新コンピュータで動作させるエミュレータを提供する方法である。しかし、理想的にもっとましなやりかたもある。これらのゲームのインストール方法やプレイ方法の情報を提供するウェブサイトを、合法的にしてしまえばいいのだ。
ではそれをGamemuseum.orgと呼ぼう。それを非営利機関として、人々にこれら絶版ゲームをプレイできるようなソフトを、所有者の許可を得て提供する。メーカー側は、絶版ゲームを自分たちだけでなく、学者やデザイナー、さらにレトロゲームファンが閲覧したり触れたりできるように無料で提供する。
もしメーカーが、オールドゲームの新しいバージョンを作ったとしても、その古い方は提供できるのではないだろうか。ある意味では、それは新作のデモに成り得るからである。旧版のプレイヤーはアップデートされた最新版に手を出す可能性はとても高い。
もちろんこのようなプロジェクトには資金調達が必要となるだろうが、おそらくは大して必要ではないと思われる。現在の「見捨てられゲーム」サイトを動かしている原動力であるその熱狂ぶりがあれば、オンラインミュージアムを作り、運営するためのボランティアはたくさん現れるだろう。
もちろん誰かエネルギーに満ちた人が、非営利の部分から利益を生み出して組織を作るかもしれない。
しかし、かならずやこの努力は報われるだろう。
誰かやってみる人はいないだろうか?
Greg Costikyan氏はゲームデザイン、ゲーム業界でのコンサルタントの傍ら、サイエンスフィクション、ゲーム記事などの執筆にも携わっている。