-1,532ものゲームをエミュレートするMAME-
Tue Feberuary 24th, 2000
ニュース元:emuverse
それでもなお、愚かな人達が時々、エミュレーションがいかに非道徳的な行為であるかと騒ぎ立て、人々の楽しみを奪おうとする。そのおかげで、我々は仕方なくこのゲーム文化をアンダーグラウンドにもってゆかざるを得なくなるのだ。私は常々著作権法というものは社会習慣に反するものだと考えてきた。私が職業プログラマーから身を引いたのですら、商用ソフトを書くことがモラルに反するのではないかと、私なりの結論に達したからなのだ。だからこの問題についてどのような立場で話しているか想像できるだろう。それにもかかわらず、この世界ではとりわけ金の亡者が幅を利かせ、良識や哀れみといった全ての形式を人質にしてきた。そして、そういった人間達は、あなたを有罪にしてしまえば、5年もの間、鉄格子の中に閉じ込めることも合法的に許されている。おまけに、国の連中は各訴訟につき5万ドル以上もあなたから罰金として巻き上げることだろう。何という盗人ぶりか。おそらく「海賊行為」とは、ビットをコピーすることよりも、このような国のやり方を指したほうが適切かもしれない。話が脱線してしまった。
ゲーム万歳!誰にも知られなければ、こんなに楽しいものはない。悪いが、もしWebが死に絶えたとしても、既に多くの人がROMを持っており、CDに焼いてしまっている。誰からでもそれを手に入れることができるだろう。しかし、我々の楽しみを本当に守ってくれるものとは一体何だろう。
テクニックのひとつとして挙げられるのが、「サイバー居座り作戦」である。もちろんドメインネームを先取りして不正に居座ることではなく、単に使用されなくなっている「所有物」を使うことで我々のものであると主張するだけのことだ。疫病にやられて見捨てられた農場を占拠したって、誰も文句は言わない。 これらの活動(John LockeのESR's perenninal favoriteのような)を組み合わせることで、これらの農場を所有することができる(そして、MAMEはまちがいなくそういう活動に満ちたものだ)。それとも、海の掟である沈んだお宝の比喩を使おうか。どちらの方法でもおそらく正当化できると考えられる。我々がこの傾向を長く継続すれば、いわゆる「所有物」というものは、使い道が無いということでパブリックドメインとなるだろう。(この居座りの伝統は、ほったらかしにされていたリソースを確実に使い道のあるものとする。ビデオゲームの場合で言えば、これら捨てられたお宝が、多くの人にとってすばらしいエンターテイメントに成り得るのだ。)さあ、アーケードゲームという農場を開拓する準備をしよう。
もうひとつのテクニックは、DeCSSの今回の状況で最も効果的だったものだ。Slashdot(オープンソース関連ニュースサイト)のある人はこれを「whack the mole(もぐらたたき)」現象と呼んでいる。ひとつのサイトが閉鎖されると、ふたつ以上の別サイトが現われることだ(この名前は、プラスチック製の貧弱なモグラをたたくCarnivalの人気ゲームからきている)。Don Marti氏の国際DVDソースコード配布大コンテストのように、たぶん私達は情報を交換する本当に賢い方法を見つけ出すかもしれない。DeCSSやMPEGであったように、権威主義者達はすぐにあら捜しをして、あるもの(MPEG)は生き残り、またあるもの(DeCSS)は敗れ去る。商業権力はこれからも必死に闘いを挑んでくるだろうが、状況は倫理的にどうもはっきりせず、GNUやLinuxの活動のような純粋さはほとんど無いといえる。ことによっては、彼らは、私達がROMを流通させることに関わることも、悪であるという活動をしかねない。しかし、社会の一員としての私達は、これらのゲームを保存していくことに興味津々なのだ。結局のところ、それはテクノロジー開発文化の一部であり、廃れた時間に大きく関係している。
もちろん、もしあなたが「知的所有権」というものの存在を頑なに信じ、著作権による規制はいかなる場合にも尊重されるべきであると考えたり、または単に犯罪を犯したくないと思うなら、あなたはどうするべきか。うーむ、批判のメールを書いたり先生に告げ口をするよりは、単にMAMEを無視してGPLのもとで完全なフリーウェアを開発してはどうだろう。もし、あなたが本当に怒りのたけをぶちまけたくて、人々を「著作権侵害者」呼ばわりしたいのであれば、ぴったりの場所がある、Usenetだ。
じゃあ、残りの人達はどうすればいいかって?考古学的かつ人類学的にいえば、「発掘」を楽しむとしましょう!
[前編]