Eyes for Details Vol.9 - September 24th, 2000

Randy Hoffmanインタビュー

September 14th, 2000
インタビュアー:JoseQ
JoseQ's Emu Views
 最近のことですが、「MAME Targets」というMAMEの未サポートゲームや、これからサポートされると思われるゲーム情報の巨大リソースを作っているサイトが突然現れました。このすごいサイトを支えている人が、他ならぬMAMEDEVのRandy Hoffman氏です。彼は正しい情報をサイトで提供しようと日夜頑張っています。そしてこれらの情報からは未来のMAMEの姿を垣間見ることができるでしょう。 今回、彼に質問を送ったところ、本当に親切に答えていただきました。


1. まずはお決まりの質問からです。「はい」とか「いいえ」の質問ではなく、Randyさん自身について皆さんに紹介していただけますか?

「はい」か「いいえ」の質問じゃないとなると、私の答えは「その通り!」でいいですか ;-)

 年は33、クリスチャンで独身です。ペンシルバニア州のピッツバーグにある、典型的な男臭い独身アパートに5000冊のペットの本に埋もれて暮らしています。仕事はテクニカルライターをしてます。コンピュータ通信機器(モデム、ルータ、KVMスイッチ…KVMスイッチは本当にいっぱい…など)用のマニュアルや販売カタログを作っています。趣味は、エミュレータは置いといて、サイエンスフィクションや空想小説、映画、ゲーム、それから音楽です(テレビは嫌いです)。その他には、

  • ピッツバーグのサイエンスフィクションクラブの部長を2年ほどやっていました
  • 地方のサイエンスフィクション会議のお手伝いを10年やっていました(今はこの会議は中止されいます。手頃な値段で会場が使えなくなってしまって。どこも結婚式場に金をかけすぎなんです!)
  • 私が「filk」ソング(SF/ファンタジーフォークミュージック)の作曲と作成を行ったOzストーリーで、2つのファン賞をもらいました
  • GMが実際に13年続けていた連続シリーズ、Fourth Age MERPキャンペーンを演じるボードゲームグループの一員です

「もっと人生を楽しめ」って?どんな人生?いや、スイマセン、そんなこと言ってないですね…(怪しい笑顔)

2. エミュレーションの世界に関わるようになったきっかけは?

 私は「関係者以外立入禁止」のドアから忍び込んだんです。ウソです。ちょっと昔のことが懐かしくなったので、ちょっと長くて回りくどくなっちゃいますが、昔のことから答えさせてください。

 私が故郷の繁華街に出るようになったのは15歳くらいからだったと思います。新聞配達をしていて、そのとき貴重なレアゲームを見つけました。地元の「5&10」という店(覚えてますか?)には「Ms. Pac-Man」と「Battlezone」と「Kick」がありました。「Ms. Pac-Man」は今でもマシン、ゲームともに私のベストです。その後、その店に「Jr. Pac-Man」と「Mappy」が入荷されましたね。その頃、同じ通りを下がったところのピザ屋に海賊版の「Ms. Pac-Man」が現れたんですが、Pac-Man Plusのグラフィックを使ったものでした(いつか誰かがマシンを見つけて吸い出されればいいですね)。 ゲームセンターとビリヤード場が一つになった施設も、ほんの少しの間オープンしていたのですが、そこでは「Bunp 'n' Jump」でハイスコアを出すとピザ無料チケットがもらえたので、それはもう腕を磨きました(ここだけの話、一回もやられずに全面クリアする裏技を見つけたのはあの街で私だけだったと思います)。 私が地域大学に通っていたときには、そこでも「Ms. Pac-Man」マシンが私を待ってました。

 私が実際に家庭用コンピュータに触れたのは1983年の夏で、カリフォルニアのいとこの家に行ったときです。そのいとこがTRS-80を持っていて、フロッピー完備だったんですがこいつがジェットエンジンよりもうるさくて、おまけにすぐ熱暴走するものでした。TRS-80用の一番最初のディスクゲームは「Sands of Egypt」というのだったんですが、それがちょうど登場したときです。僕といとこの2人で3日かけてクリアしました。その年の新学期から、学校にコモドール64でいっぱいのコンピュータ室ができたんですが、まさしく宝の山でした。マシンには全部コモドールの「教育用」BASICゲームディスクが付いていて、クソゲーだったスタートレックゲームを早速ハックして、秘密のクリンゴン船とかGenesis Weaponとかいろいろ追加しました。それから、ダム・バスターというゲームも改造して、弾がダムに当たるようにしました。連射すれば画面の下側のテキストを破壊できます。そうするとビデオメモリがプログラムメモリの方に移っていってしまって、最後にはゲームがクラッシュしてしまします。

 一からプログラムを書いてみようと思ったのは、「Score Four」「Master Mind」「Isolation」という3つのボードゲームをBASICで移植するというものでした(このゲームはまだどこかにあるはずです。ディスクがリードエラーを起こさなければの話ですが…誰か直し方知りませんか?)。 その後、大学時代にはFORTRAN用の超巨大なパロディのテキストアドベンチャー物の一部を書きました(そう、本当にFORTRANのテキストアドベンチャーです)。その頃、「Core War」でのソフト対ソフトの戦いがScientific American誌の紙面を賑わせていたので、今度はCOBOLで「Core War」コンパイラとメインプログラムを作りました(そう、本当にCOBOLのコンパイラです。あのころは若かった)。この2つのプログラムはプリントアウトしたものしか残っていません。

 大学を卒業して何年か経ったときでしたが、パソコンを買う金がなかったんです。今でも私が使っているマシンはそのときおじさんがくれたものです。1998年の1月のことでした。そのマシンがまた、ムーアの法則をぶち壊すようなi486DX4の120MHz、メモリ24MBのシステムだったんですが、Windows95とブラウザは快調に動きます。そのころ友達がAtmospherical Heightsと呼ばれていた当時一番すごいMAMEサイトを教えてくれて、MAME32のゲームをいくつかやった時には、もう完全にはまっていました。それ以来ひたすらMAME(と他のアーケードエミュもほどほどに)を追っかけているわけです。

3. その頃に一番熱中していたものは何ですか?あと今は何に燃えていますか?

 MAMEがいつも私をとりこにしているものは、その大きなスコープです。ふと立ち止まってMAMEの目標についてちょっと考えてみると、これはある意味正気ではないことなのです。「全てのアーケードゲームをエミュレートする」、しかも一つのソフトウェアで…。一体ゲームは何千あるのでしょう?CPUは?サウンドチップやグラフィックチップ、メモリバンク方法、プロテクトメカニズム、その他もろもろ、いくつのものを解析してコードで再現して、テストして、そしてこれがどれほど大変か知らない人が多いのですが、MAMEのアーキテクチャが変わっていく中でこれらをメンテナンスして適応させていくか?私は妥協を許さないゲシュタルト志向の人間なので、 このようなドキュメントプロジェクトにはずっと魅了されているのです。

4. 「MAME Targets」についてですが、このプロジェクトを始めたきっかけは?

 えーと、最初に言っておきたいんですが、もし出来ることならドライバやコードを書いてMAMEプロジェクトを手伝えたら思っているんですが、なにぶん、今のマシンが非力で満足にMAMEを走らせることもできません。いずれはいまのオンボロをスクラップにして、まともなマシンを買おうと思っていますが、そのときまではチームを支える別な方法を探さなければと考えています。

 最初このサイトを始めたとき、掲示板の書きこみの3分の1以上が「このゲームもリストに加えてくれ」という情報提供だったので、ほんとうにうれしかったです。しかし、うちのようなサイトはどうやら2つのカテゴリーに分かれていく傾向があるようです。ひとつは、何でもかんでも手を広げようとして、噂しかないゲームとかUsenetで一回だけ投稿されたものとか、ゲーム名のスペルが2、3ヶ所違うものとか、しまいにはUFOキャッチャーまで取り上げようとするサイトです。そういうサイトはまず信頼性に欠けます。

 もう一つは非常に正確だけれども、特定のゲームメーカー専門だったり、ある期間だけを集めたものだったり、自分で持っているものだけのものだったりします。Bobby Tribble氏の「unMAMEd Games」サイトはこの例としては最高のものです。情報量はかなりすごいですね。ただ彼が1990年以降のゲームには興味がないことを責めるつもりはありません。今年の初め頃でしたが、しばらくの間彼のサイトをお手伝いしたんですが、その時にMAMEDEVとも何人か知り合いになりました。そこで、Phil Stroffolino氏にまだエミュレートされていないゲームリスト、それも総合的で正確なものを集めたサイトについて提案してみたんです。そうしたところ、なんだか私もMAMEDEVにされちゃいまして、サーバースペースまで用意してくれたんです(Timさんどうも!)。今ではスミソニアン博物館の館長の気持ちがよーくわかりますよ。MAMEDEVのアーカイブには金では買えないような貴重な情報がたくさん詰まっていますが、全部整理するにはよほどのチャレンジャーじゃないと無理なくらい、何でもごちゃ混ぜ状態で、変なものや謎のものも混じっていました。

5. このようなサイトを運営していくのにはどのような経験が役立っていますか?まだエミュレートされていないゲームで驚くようなものはありましたか?

 経験ということから言えば、これは本当に努力の賜物です。大量の情報からゲームのリストを作成するのですが、特にタイトルやリリース年などが合わないときは、ほんといやになることもあります。だけど、これはこれでとても面白いです。つまり、私としては忘れられたゲームと開発元という、ある意味奇妙な物語にずっと出会い続けるわけですから。それから、言葉の違うアジアのアーケードゲーム会社のサイトを探検して、何とか情報をかき集めようとしたり。私が読めない日本や中国や韓国のゲームというは、まるで別世界に行った旅行者のような感覚です。

 ゲームについて私が何より驚いているのは、吸い出されているのにエミュレートされていない70年代のゲームが大量にあるということです。もしかしたら、皆さんはそういう古いゲームが一番簡単にエミュレートできると考えるかもしれないのですが、実際には全くの逆です。当時は、同じような結果を得るにも、わざわざ一からそれこそ何百という違った方法で作り上げていたのです。パフォーマンスを搾り出すために、機能をカスタムチップにめいっぱい詰め込んだり、怪しい電気的な技を使ったりと手段は問いませんでした。当時ゲームをデザインして作り上げていた人達は、常により高いレベルを追い求めたパイオニアといえます。彼らは時代の先端を行っていました。当時のあれほど貧弱なリソースでよくぞここまで実現したと、本当にびっくりしますよ。

 80〜90年のゲームで、まだエミュレートされていないゲームやゲームシステムがいくつかあるんですが、これにはいつも悩まされます(このことをいつも他のMAMEDevにせがんでいたので、しまいには誰も聞きたがらなくなっちゃいました)。ひとつはニチブツの「ムーンシャトル(1981年)」で、人気があってとても注目されたゲームでした。私もC64版をプレイしたのを覚えているんですが、恐らく予想以上にハードウェアが複雑なのかもしれません。もうひとつがナムコの「リブル・ラブル(1983年)」で、日本で一番最初にモトローラの68000チップを使ったゲームです。他の多くのゲームでもそうですが、最初というのはアイディアをどんどん推し進めていって、ハードの中に独自の要素が含まれいることが多いのですが、このゲームもそうだとにらんでいます。3つ目はコナミの「シティボンバー(1987年)」で、私の知る限りでは必要な情報は全てあるはずなんですが、当時のコナミゲームとは若干違いがあるようです。あとは、JFFがすでにエミュレートしている80年代中ごろのものが残っています。UPLが3つにジャレコが3つ、Williamsの「Roller Aces(1983年)」です。サウンドハード以外は特に難しいことはないと思います。最後に任天堂のVS.ユニシステムがありますが、ハード的にはNESとほとんど同じです。これが出来ればオープンソースのNESエミュがあちこちからリリースされるでしょう。

6. これらのゲームの中で、特に「ビッグ」なものとか、個人的に気に入っていてエミュレートされるのが楽しみなものはありますか?

 MAMEの歴史的なゲームを残すという目的から言うと「リブルラブル」と「ムーンシャトル」が重要だと思います。でも個人的にサポートを楽しみにしているのはJFFのUPLゲームです。UPLのゲームはめちゃめちゃ好きなもので ;-)

7. 今年の終わりまでにどのくらいのゲームをMAMEがサポートすると読んでますか?

 これはとても難しいですね。Devが明日やりたいことはそれぞれ違うわけで、MAMEはそれ頼みなわけですから。ただ、年末までにはVS.システムとCenturyCVSドライバが登場するかも知れません。それと、敢えて希望を言えばCPS-2でしょうか。あとはセガのゲームやプラットフォーム、セタ、ジャレコ製ゲーム、Arcadia Multi Selectシステムなども期待できます。年末には多分Nicolaが1999年もののゲームを有効にするでしょう。でも具体的な数はわかりません。

8. 初めてRandyさんがMAMEに出会ったときから、今日までのMAMEの発展ぶりについてはどう思いますか?

 正に度肝を抜くような進歩です。0.36のベータ期間には本当に信じられないような2ヶ月があって、そのときには次から次へと新プラットフォームが追加されました。例えばナムコSystem1、System2、アタリMCR、Bally/Sente、コナミカスタムなどです。そのころは私自身は「外から眺める」立場でした。今でも私はチームにいるので、刻々と絶え間なく続いていく開発の流れというものを目の当たりにできます──吸出し、新コード、疑問、再吸出し、修正コード、スクリーンショット、改良コード、提案、議論、さらに新しいコード──うーん、何と言うかびっくりするほどの特権といいましょうか…

9. Final Burn、Mimic、Laserなど最近出てきた新しいアーケードエミュについてはどう思いますか?

 こういった新しいものが出てきて本当にうれしいです。何かをする方法というのは決してひとつではありませんから。一人でも多くの人が新しい方法や機能を試せば、それだけ皆のレベルも上がります。でも多分変わらないことが2つあると思うんです。こういった小さくて、融通が利いて、さらに専用的なエミュレータはMAMEよりも動作が速いということと、ゲームプレーフレンドリーな機能を最初からサポートすることができることです。例えば、MAMEが出来ない(そして将来も絶対無理な)セーブ機能などです。

10. MAMEに限らずエミュレーション全体で、これから2年の間に起こりそうな大きな出来事についてRandyさんの考えを教えてください。

 あと2年あれば、現時点で出ているコンソールのエミュレータは大体登場してると思います。一方、アーケードについては、今のところ吸出しは終わっているけどもエミュレートされていないゲームで、1997年以前にリリースされたCPUを使っているものの9割以上はエミュレートされると敢えて言いましょう。

 ただ2つの課題がこれから待ち受けていると私は思います。どちらもMAMEプロジェクト外の話なのですが、直接影響するものです。一つが、最近のアーケードゲームは家庭用ゲーム機では味わえないような体験を重視しているということです。いくらオリジナルの入力デバイスを再現したところで、自転車ゲームの「プロップサイクル」(こげ!もっと強くこげ!)や「フットボールパワー」(蹴れ!いや、そんなに強く蹴るな!)、さらには「ヒップホップマニア」(ス・ス・スクラッチだ、アホDJ!)のようなゲームをエミュレートすることはできるのでしょうか。

 そしてもう一つが、たとえどんなゲームにでも対応できるエミュが登場したとしても、ゲーム自体が完全に吸い出されなければ当然動作しません。まだ吸い出されていないゲーム基板が腐って使い物にならなくなったり、埋立地のゴミの山の一部になる前に、それらをいくつ見つけて吸い出せるか、さらに、壊れたチップなどからROMデータをいかにして取り出すか…

 こういう問題にこれからどうやって取り組んでいくのかを見ていくのは、非常に興味深いことだと思います。

11. 皆さんへメッセージはありますか?

 ええと、私としては誰にも重荷を負わせたくはないのですが、このように楽しく、時に大事なように思えても世の中は決してこれだけはありません。是非、家族や親しい人を大切にしたり、いろいろな人と知り合う時間をつぶすほどこの道楽だけにとらわれないで欲しいです。私はさらに、神に命を捧げなければ経験することの出来ない、ずっと大事なものが死後に待っていると信じています。私は何年も前からそうしてきましたが、一度も後悔したことはありません。彼は誠実な守り主であり、最も賢い先生であり、そして最高の友なのです。そして、一瞬の安っぽい快楽よりはるかに長く続く、絶対確実な「良き時間」の源なのです。

以上です。小言は終わり。「戦争と平和」も終わり。それではみなさんごきげんよう!


 今回のインタビュー中にはハードディスクがクラッシュしたりとトラブルがあった中、質問に答えていただいたRandy Hoffmanさん、どうもありがとうございました。今回の記事は私が今まで書いた中で一番長いものですが、彼のユーモアセンスもあって楽しく読んでもらえたと思います。

英語元記事